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東京高等裁判所 昭和63年(行コ)85号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人岐阜労働基準署長が秋鹿匡民に対し昭和五三年一二月二〇日付けでした労働者災害補償保険法による休業補償給付、障害補償給付及び療養補償給付たる療養の費用給付を支給しない旨の処分をいずれも取り消す。被控訴人岐阜労働者災害補償保険審査官が昭和五四年九月一一日付けでした秋鹿匡民の審査請求を棄却する旨の決定を取り消す。被控訴人労働保険審査会が昭和五六年一二月三日付けでした秋鹿匡民の再審査請求を棄却する旨の裁決を取り消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、控訴人において次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人の承継

秋鹿匡民は、昭和六三年四月一日に死亡し、その子である控訴人が、同人の一切の権利義務を承継した。

二  治癒の時期について

労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)における治癒とは、急性症状が消退し、慢性症状はあっても、それが安定、固定し、医療効果がそれ以上期待しえない状態に至ったことをいうと解すべきである。そして、昭和四五年六月八日に富山県立中央病院への通院を止めた時点では、秋鹿には、指先のしびれ、骨間筋萎縮、右橈骨神経領域の感覚鈍麻等の症状があり、その後、高野整形外科医院で頸肩腕症候群との診断で、昭和五三年九月二八日まで通院治療を受けているのであるから、右富山県立中央病院の通院を止めた時点で治療を打ち切れば、秋鹿の症状は増悪したはずであり、高野整形外科医院の治療は、その増悪を阻止するという医療効果があったから、右時点で医療効果がそれ以上期待しえない状態であったとはいえない。

三  障害補償給付請求権の消滅時効の起算点について

障害補償給付請求権は、業務上の負傷、疾病の治癒により、客観的には行使可能になるとはいえても、当該労働者にはそれが業務に起因することが分からないことが多く、また、業務に起因するとは分かっていても、治癒すなわち症状が固定したことが分からない場合も多いから、このように当該労働者が業務に起因すること、あるいは治癒したことを知らない間は、障害補償給付請求権の行使は、現実的には不可能である。したがって、その間に時効が進行するとみるのは不当であり、その時効の起算点は、民法七二四条の類推適用により、当該労働者が、障害が業務に起因すること及び症状が固定したことを知った時と解すべきである。なお、民法一六六条の「権利を行使することを得る時」とは、権利を行使することを期待ないし要求することができる時期をいう、と解すべきであるから、民法七二四条の類推適用によらなくても、同じ結論をとりうるのである。

そして、秋鹿の本件障害については、その業務起因性及び治癒の日についての判断が困難であり、秋鹿は、高野整形外科病院で障害補償給付請求のための診断書の交付を受けた昭和五三年九月二九日まで、これを知ることができなかったから、これ以前は、消滅時効は進行しないというべきである。

四  被控訴人岐阜労働者災害補償保険審査官、同労働保険審査会に対する請求について

秋鹿の本件審査請求、再審査請求の審理対象は、秋鹿の現症状は業務上の負傷に起因したものではないとして、休業補償、障害補償の各給付請求につき不支給とした本件処分の適否であるから、被控訴人岐阜労働基準監督署長が右各給付請求権の消滅時効を援用しないかぎり、その審理は、それが時効消滅したか否かには及ばないというべきである。しかるに、本件決定、本件裁決は、審判の対象ではない時効の成否を判断して、その時効完成を理由に秋鹿に対する不支給処分を相当としたものであるから、それら固有の違法事由がある。

理由

当裁判所は、控訴人の本訴請求はいずれも理由がないから、棄却すべきであると判断するものであるが、その理由は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決の理由説示と同一であるから、これを引用する。

一  原判決一七枚目表四行目の末尾に続けて「控訴人は、高野整形外科医院における治療は、秋鹿(一審原告)の本件事故に起因する症状の増悪を阻止する効果があったとの主張をするが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。」を加える。

二  原判決一八枚目表九行目の「を準用し」を「の規定を類推し」と改め、同裏三行目の「至ったものであるから、」の次に「仮に、補償給付請求権の消滅時効について、当該疾病が業務に起因することを覚知したときから進行すると解する余地があるとしても、」を、同六行目の「いうべきであり、」の次に「この場合に、右消滅時効が、当該労働者において、その治癒を覚知しないかぎり進行しないものと解する見解には、現在その時効期間が五年とされ、相当の期間が定められている点にかんがみても、賛成しがたい。」を、それぞれ加える。

三  原判決一九枚目裏初行の「また、」から同八行目末尾までを「控訴人は、被控訴人岐阜労働基準監督署長が、時効の援用をしない以上、補償給付請求権の消滅時効の成否は、審査請求、再審査請求における審理の対象とはならないから、これを判断した点で本件決定、本件裁決には、それら固有の違法事由があるとするが、労災保険法四二条所定の時効については、会計法三一条一項の規定が適用され、その時効による債務消滅の効果は確定的に生じ、被控訴人岐阜労働基準監督署長の援用を要しないと解すべきであるから、右主張は前提を欠くというべきであり、採用することができない。」と改める。

したがって、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉井直昭 裁判官 小林克巳 裁判官 河邉義典)

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